多くの病院は、すでに自然災害を想定したBCPを持っています。地震・水害・停電を前提に、参集基準や備蓄、非常電源の運用が定められている。ところが、その計画をそのままサイバー攻撃に適用しようとすると、いくつかの前提が成り立ちません。
最大の違いは、復旧までの期間が読めないことです。地震なら被害状況を見れば復旧の見通しがある程度立ちます。サイバー攻撃では、侵入経路を特定し、汚染されていないバックアップを見つけ、安全性を確認しながら段階的に戻す——この一連が終わるまで、何日かかるかを初日に言えません。その間、紙で診療を続けることになります。
もうひとつの違いは、支援が来ても早く戻らないことです。災害時は人員と物資が入れば復旧が進みます。サイバー攻撃では、外部の専門事業者が入っても、調査と検証に時間がかかる構造そのものは変わりません。
2026年度診療報酬改定では、新設された電子的診療情報連携体制整備加算の加算1の要件に、サイバー攻撃等に対するBCPの策定と訓練の実施が入りました。サイバーBCPは、いまや制度上も求められる文書です。
免責:本記事は一般的な情報提供です。診療報酬の算定要件およびガイドラインの要求事項は、厚生労働省の告示・通知・疑義解釈と「医療情報システムの安全管理に関するガイドライン」本文が正本です。実際の対応はそれらに基づいて行ってください。
自然災害BCPとの違いを整理する
既存のBCPを土台にするのは合理的ですが、どこが違うかを明示しないと使えない計画になります。
| 論点 | 自然災害BCP | サイバーBCP |
|---|---|---|
| 被害の把握 | 目視できる。初期に見通しが立つ | 範囲の確定に時間がかかる。初日に見通しが立たない |
| 復旧期間 | 概ね想定可能 | 読めない。 数日から数か月の幅がある |
| 建物・人員 | 被害を受ける | 無事。人はいるがシステムだけがない |
| 外部支援 | 人員・物資が入れば進む | 調査・検証が律速。人を増やしても短縮しにくい |
| バックアップ | 遠隔地にあれば無事 | 同一ネットワーク上なら同時に被害を受ける |
| 情報伝達 | 通信インフラの被害 | 院内システムが使えない。連絡網も同時に失われ得る |
| 再開の判断 | 安全確認ができれば戻す | 原因が塞がれるまで戻せない |
| 法的対応 | 限定的 | 個人情報の報告義務、公表、捜査対応が並走する |
**「人はいるがシステムだけがない」**という状態は、災害BCPが想定していない条件です。職員は出勤でき、建物も電源も無事で、しかし電子カルテが開かない。この状態でどう診療を回すかが、サイバーBCPの中心的な課題になります。
報告義務の並走については 個人情報漏えい時の報告義務、初動そのものは ランサムウェア被害時の初動 をご覧ください。
診療機能の優先順位をつける
BCPの本体は、止められない機能から順に並べることです。サイバー攻撃では全機能が同時に止まるため、どこから戻すかを決めておかないと現場の要望が競合します。
優先順位は施設の役割によって変わります。整理の軸は「止まったときの患者影響」と「代替手段の有無」の2つです。
| 機能 | 停止時の患者影響 | 代替手段 | 優先度の考え方 |
|---|---|---|---|
| 救急受入 | 生命に直結 | 近隣への転送(地域全体の負荷になる) | 最優先。受入可否の判断基準を事前に決める |
| 手術・分娩 | 生命に直結 | 予定手術は延期可、緊急は不可 | 緊急対応の継続手段を確保 |
| 透析 | 数日で生命に影響 | 他院への依頼、紙の指示 | 継続を前提に紙運用を設計 |
| 入院診療 | 中〜高 | 紙の指示簿・処方箋 | 様式の備蓄が必須 |
| 外来(予約) | 中 | 縮小・延期 | 早期に縮小を判断する |
| 検査・画像 | 中 | 外部委託、手書き依頼 | 依頼・結果返却の代替経路 |
| 調剤・薬剤 | 高 | 紙の処方箋、手書き | 監査体制を含めて設計 |
| 会計・請求 | 低(即時) | 後日精算 | **後で効いてくる。**請求の遅れは資金繰りに直結 |
会計・請求は初期には優先度が低く見えますが、長期化すると資金繰りに直結します。 復旧が数週間に及んだ場合の請求業務の回し方(後日精算の運用、レセプト提出の扱い)を計画に含めておくと、現場の負担が大きく変わります。
RTOとRPOを数字で決める
BCPの質は、目標を数字で持っているかで決まります。用語としては次の2つです。
| 指標 | 意味 | 医療機関での問い |
|---|---|---|
| RTO(目標復旧時間) | どれだけの時間で業務を再開するか | 「電子カルテが使えない状態を何日まで許容できるか」 |
| RPO(目標復旧時点) | どの時点のデータまで戻せればよいか | 「直近何時間分の記録が失われても診療を継続できるか」 |
RPOはバックアップの取得間隔で決まります。日次バックアップなら、最悪で1日分の診療記録が失われることを許容する設計です。これが受け入れられないなら、取得間隔を短くするか、紙の記録から復元する運用を決めておく必要があります。
RTOは、復旧手順が文書化され、実際に試されているかで大きく変わります。手順が頭の中にしかない状態では、担当者が不在なだけでRTOが崩れます。
2026年度改定の加算1が求めるバックアップ要件は、この文脈で読むと理解しやすくなります。
| 加算1のバックアップ要件 | 満たすとされる方式 |
|---|---|
| 複数方式によるバックアップ確保、一部はオフライン保管 | ① 外部媒体方式(RDX等の別媒体で保管し、世代管理も実施)<br>② 自動転送方式(NAS等へ自動転送し、常時ネットワークから切り離された状態)<br>③ クラウド内方式(クラウドサービス内の論理的に切り離された領域へのバックアップで、速やかな復旧が可能な場合) |
世代管理については、日次でバックアップする場合に少なくとも3世代を確保するという整理が示されています。週次・月次の扱いは病院規模やバックアップ方式で異なるため、一概には示されていません。構成の設計は 医療機関のバックアップ設計|3-2-1ルール で詳しく扱っています。
紙運用への切替を設計する
サイバーBCPで最も準備不足が露呈するのが、紙運用です。「いざとなれば紙で」と口頭で合意されていても、実際には様式がない、書き方が分からない、電子に戻す方法が決まっていない、という状態が典型です。
準備すべきものを具体的に挙げます。
- 印刷済みの様式 — 処方箋、注射・処置指示、検査依頼、看護記録、同意書、入退院関係。PDFの保管ではなく現物の備蓄。院内ネットワークが使えなければ印刷もできません
- 参照用の情報 — 入院患者一覧、アレルギー・禁忌情報、当日の手術・検査予定。定期的に出力してオフラインで保持する範囲を決める
- 記入ルール — 患者識別の方法(IDが引けない状況を想定する)、記録者の明示、時刻の記載
- 物理的な保管と搬送 — 紙が院内を移動する。紛失・混同を防ぐ運用(受け渡し記録、部門ごとのファイル)
- 電子への戻し方 — 復旧後、紙の記録をいつ・誰が・どの順番で入力するか。スキャン取り込みで済ませるか、キー入力するかを決めておく
「何日間、紙で回せるか」を数字で答えられる状態を目標にしてください。様式の備蓄枚数、紙カルテの保管スペース、入力に要する復旧後の人員。この3つを見積もれば、おおよその上限が出ます。
参照用情報のオフライン保持は、それ自体が新たな漏えいリスクを生みます。保管場所と廃棄までを決めておくことが必要です。端末の管理は 端末管理|持ち出しPC・タブレット、可搬媒体は USBメモリ・可搬媒体の管理 をご覧ください。
訓練して、計画に戻す
加算1の要件は「BCPの策定」だけでなく**「訓練の実施」**を含みます。制度上の要求という以前に、訓練していない計画は使えません。
段階を踏んで負荷を上げるのが現実的です。
| 段階 | 形式 | 所要 | 確認すること |
|---|---|---|---|
| 第1段階 | 読み合わせ | 1時間程度 | 役割と連絡先が最新か。用語が通じるか |
| 第2段階 | 机上訓練(シナリオ) | 半日 | 判断の順序、権限、情報の流れ |
| 第3段階 | 部分実地(縮退運用の試行) | 半日〜1日 | 紙様式で実際に書けるか、所要時間 |
| 第4段階 | 復旧訓練 | 計画的に | バックアップから実際に戻せるか、所要時間 |
第4段階を省略しないでください。 バックアップを取得していることと、そこから戻せることは別の話です。取得は自動化されていても、復元手順を一度も試したことがない医療機関は珍しくありません。復元試験の結果(所要時間、つまずいた箇所)がそのままRTOの根拠になります。
訓練の設計・記録の残し方は 職員教育・訓練の設計、計画そのものの構成は 医療機関のインシデント対応計画 にまとめています。改定の全体像は 2026年度診療報酬改定のポイント をご覧ください。
まとめ
サイバー攻撃を想定したBCPで押さえるべき点は次のとおりです。
- 自然災害BCPと決定的に違うのは復旧期間が読めないこと。そして人はいるがシステムだけがない状態を想定すること
- 診療機能に優先順位をつける。会計・請求は初期の優先度が低くても長期化で資金繰りに効く
- RTO・RPOを数字で決める。 RPOはバックアップ取得間隔、RTOは復旧手順の文書化と検証で決まる
- 2026年度改定の加算1は**複数方式のバックアップ(一部オフライン)**を求める。外部媒体・自動転送・クラウド内の論理分離が例示されている
- 紙運用は現物の備蓄と戻し方まで設計する。「何日間、紙で回せるか」に数字で答えられることが目標
- 訓練は段階的に負荷を上げ、バックアップからの復元試験を必ず含める
BCPは既存の災害計画を土台にしつつ、サイバー固有の前提を足していく作業です。優先順位づけや復元試験の設計は、システム側の理解がないと詰め切れない部分があります。ポテックは医療情報システムの設計・運用の立場からご相談を受けています。お問い合わせ からご連絡ください。委託先事業者の事業継続体制を評価する視点は ISMS(ISO/IEC 27001)とは が参考になります。
参考・出典
※診療報酬の算定要件は告示・通知・疑義解釈により具体化され、改定・解釈の変更があり得ます。最新の内容は厚生労働省の公表資料をご確認ください。